『ランド・オブ・ザ・デッド』

ゾンビ?あぁ、最近あるよね〜リメイクとかさ〜、え、ロメロなの!?生きてんだ(失礼)?というわけで、久しぶりに映画館に行って見て来ました。だって20年ぶりの新作、ジョージ・A・ロメロ監督のゾンビ。これは見ざるを得ませんよ。
荒廃した広い広い土地、川と電圧線に囲まれたスラム、そして町の中央にそびえるセレブ達の住む巨大で豪華なタワー。死者が生き返る極限状態にあって、ますます広がる階級の差…。
シリーズ全編通しての、「人間対ゾンビ」を超える「人間対人間」の図式はもちろん今回も健在。タワーの中のブルジョアジィ達を見ると、ゾンビがなにか「迫害された野生動物」のようにすら思えます。花火を見上げて立ち止まり、満月の下、堤防沿いに一直線に立ち並ぶゾンビ達は、忌むべき存在でありながらも、哀れでそしてどことなく可愛い。
一番印象的だったのは、火だるまになって叫ぶ仲間のゾンビに対して、知能を持ったゾンビ群のリーダー(ビッグ・ダディというらしい)がマシンガンをぶっ放すシーン。ビッグ・ダディがあれで“火”を学習する、という、後に繋がるシーンではありますが、そんなことより、私にはあの発砲(マシンガンも「発砲」でいいのかな)を、「炎に包まれながらもなお死ぬことの出来ない仲間への、とどめの一撃」と受け取りました。
つまり。かの『猿の惑星』の有名な台詞に「Ape Shall Never Kill Ape(猿は猿を殺さない)」というものがありますが、この瞬間に、ゾンビが猿を越えた訳ですよ。ただ生きる屍であったはずのゾンビが(前作「死霊のえじき」で知能を持つ兆候を見せてましたね)、今作で猿を越えたっていう。
ラストシーン、タワーを出たゾンビ達は行き場を求めて歩き始め、主人公たちは彼らを撃たずにトレーラーで北へ。生者と死者が混在する曖昧な世界、彼らと共存することなんて出来ないかもしれないし、安息の地なんて何処にもないかもしれない。けれど、過去の三部作に比べたら、遥かに希望の持てるラスト。
昨今のホラー映画(ジャパニーズホラーとか)に比べたらちっとも怖くないし(グロはありますよ、勿論)、三部作のあの圧倒的な閉塞感や絶望感をお望みの方には物足りないかもしれない。でもね、やっぱり、是非見ていただきたいです。だって60過ぎの爺さんがこんなの作ってるんだよ。愛と執念と情熱に敬意。
続きは20年後に。